Friday, March 15, 2013

Intro - Pro Age Revolution

     はじめに
2    そこに至った背景
3    周囲のプロエイジ観
4    からだと心の変化の受け止めかた
         - 生理のこと
         - 「海の底」に沈む時
         - ホットフラッシュはグレイトマザーへの儀式
5    意識のアンテナを立てる
6    トランジッションタイム
7    バランスを知る
8    それぞれのバランスの取り方
9    すべては繋がっている
10 今の自分を楽しむ

Poem
Dear My Girlfriends


はじめに


「あなたはグレイヘアを染めていますか?」
「お化粧を毎日していますか?」
「若く見られたいと意識していますか?」
「今の自分が好きですか?」

あなたはずっと、一生懸命走り続けてきました。
たくさんの恋もしたし、仕事や夢を実現して来ました。
愛する人と家庭を持ち、かわいい子供にも恵まれました。
出会いと別れ、いいことも、そうでもないことも、
ずいぶんたくさん経験してきました。

いまふと立ち止まり、気がつけば
髪の毛には銀色に光るものが目立ち始めて、肌の色も以前ほどの輝きをなくし、
シミやしわも現れ始めました。
からだも少しずつ変化しています。
近くのものが見えづらくなったり、忘れっぽくもなりました。

それはあなたひとりではありません。
その差はあっても、わたし達全員が何らかの変化を通り抜けているのです。
ちょっと前までは、年上の人から聞いていたその変化を
今感じているこの頃…

アンチエイジングという呼び名で、それに打ち勝つというよりは
プロエイジ ー 今のわたし達を楽しみませんか?
わたし達はそのままで美しいのです。
人生の時代時代の美しさを、体現していくことが、次の美しい時代を創る。
わたし達自身にパワーを取り戻し、今日を生きていきましょう。

プロエイジとして生きることを選択する女性達が広がっていく世界を楽しみに。



1 グレイヘアを染めないと決めた日


わたしの髪は真っ黒で量も多く、ナチュラルなウェーブがあります。
あまり上手に髪の手入れができないわたしは、ショートヘアーにしていることが
多かったのですが、そんな真っ黒の髪にキラキラ光るグレイヘアが現れたのは、
三十代前半でした。

まだグレイヘアを認められない年頃で、美容師さんに勧められたヘアーマニキュアから
はじまり、もっと目立ち始めてからはナチュラルな材料で作られたヘアダイ
(といっても、やはり化学製品ですね)で髪を染め続けてきました。
四十代に入ってからは、その割合が一ヶ月に一度くらいになりました。

髪を染める頻度が上がるにつれ、わたしの内側で「面倒だな」
「染めるのは好きじゃない」という想いが沸き上がってきました。
何度か、染めないことを選択したこともありましたが、生え際の白が3センチくらいに
なると、黒い髪との間にくっきりと境目がつきます。
それはとても美しいと言えるものではなく、諦めてまた染める、を繰り返していました。

わたしは二十代の後半から生活の場をアメリカに移しました。
カリフォルニア州サンフランシスコで新たな人生をスタートし、その後バークレー、
オレゴン州ユージーンと居を移してきました。
人生の流れの中でたくさんの素敵な人々に出会いました。
特に、ヒッピー文化が色濃い場所に住んでいたこともあり、ナチュラルな生き方をする人々との繋がりが多く、
それはわたしの生き方にも素晴らしい影響を与えてくれたと思います。

オーガニック、自然志向、内側と外側を一つにした暮らし、自然と寄り添った暮らし、
地球、環境… 二十年以上、そんなキーワードの中で生きてきたわたしが、
一つだけ強く抵抗していたのが、髪を染めない、ということだったのです。

ところがある日、それは突然起こりました。
わたしはバスルームの大きな鏡の前に立っていました。
いつもぎりぎりまで髪を染めず、「どうする?」と自問するのが習慣化していました。
「さて、どうする?」
その日もわたしは、鏡の中の自分自身に問いかけました。
生え際は2センチほど白くなり、黒髪との境目ラインがくっきりと見えます。
「もう嫌だ。」
わたしは答えます。
「もう染めない?」
「もう、染めるのをやめよう!」
驚きの答えが自分の中から返ってきました。

染めるのをやめる、というのは簡単なことです。
でも、ここからが自分自身との戦いだということも、知っていました。
全体がグレイヘアに変わるまでの過程が絶えられず、染めてしまう人が
とても多いのです。
過渡期を挫折しないでどう乗り越えるか、わたしのグレイヘアの混ざり方や色は
どんな感じになるのか、大きなイメージチェンジを、全体としてわたしは
どう表現していきたいのか…
未知の世界への入口でした。

まずわたしはコンピューターの前に座ると、同じ想いの人を探し始めました。
始めに「美しい白髪」と日本語で検索してみると、白髪染めの広告が
たくさん出てきました。
四、五十代の美しいグレイヘアは見当たりません。
次に英語で「ビューティフル グレイヘア」と入れてみると、美しい女性達の写真が
次々と現れました。
「わぁきれい!」
新しい発見に嬉しくなったわたしは、その画像を集めたサイトを作ってみました。
ナチュラルで美しい女性達、そして男性達を見ていると、それは外側だけでなく、
生き方やたたずまいのような、内側の美しさが現れていることに気づきます。


あるがままで生きる、ということは、わたし達が何を想い、どう生きて来たかをも
現すことなら、それは単に髪を染めない、ということだけではなく、
ライフスタイルを大きく見つめ直すきっかけにもなるんじゃないかと思い始めました。

そう考えたとき、アンチエイジからプロエイジへという意識の変換は、
五十歳という今、わたしがやりたいことだとはっきりわかったのです。
数日後、わたしは”宣言文”を書きました。


- Pro Age ”宣誓文” -


「2012年の終わりころから
ずっと浮かび上がってくる想いがありました。
それは
”もっと今の自分らしく生きること”
五十歳という新たな年代の仲間入りもしました。
身体的にも少しずつ、でも確実にいろんな変化を感じています。
とりわけ、グレイヘア(日本語の白髪という言葉の印象は好きではありません)は
何年も前からずっとわたしの思案材料でした。
ナチュラルなヘアカラーで髪を染めたりしますが、髪を染めるということに

ワクワクしないのです。
”しなければならない”という気持しか感じません。
”なぜ 今の自分らしくいられないのかしら”
そんな想いがどんどん強くなっていきました。
わたしの中で、人の視線や社会の美の基準のようなものに
自分を合わせ、安心する気持がありました。
特に日本へ行くと、家族や友人が全員口を揃えて
「もう少し綺麗にしなさい」「髪を染めなさい」とたくさんの助言をくれます。
わたしのことを想って言ってくれるのはありがたいのですが…
若く美しいこと、かわいいことがメインストリームで絶対的な価値観を持つ日本では
そこに合わせていくのは当たり前のことなのかもしれません。
男性も同じように“若くてかわいい”女性を求めているのでしょうか。
日本ではメディア、接客業、若い世代が中心ですね。
もしかしたらそれは、わたし達の年代が自分らしく生きる時、そして自分にパワーを

取り戻した時に、変化していくものかもしれません。
わたし達の年代はどこへ行ってしまったんでしょう。
人生という長い旅を続けてきて、たくさんの経験と愛と許容量、

そしてユーモアを持ったわたし達は、ちゃんとそう存在しているのでしょうか。
そう想った時、わたし自身も少なからず、“若く見える”ことに捕われていることに

気づきました。
いまからわたしはもっと、今の自分を受け入れ、楽しみながら生きていくことに
しました。
五十歳という年齢の美しさをどこまで表現できるか楽しみです。
こう決めてから、身近な友人達にわたしの決心を伝えると、みんな同意してくれたり
いいアドバイスをくれたり、伝え響き合うことの大切さを感じました。
「グレイヘアはバランスが大事。」とか「こんな素敵な人がいたよ。」とか。
男友達が「それはいいね!」と喜んでくれたときは、「yes!」と嬉しくなりました。
わたし達はいくつになっても、美しいと思われていたいものね。
今の自分をそのままに生きる、というわたしの実験から
わたしは何をしてどう感じていくのか… それを客観的に観察していきたいなと

思っています。」
ここからわたしの”今の自分”を生きる旅が始まりました。

2 プロエイジに至った背景


わたしは2012年にカリフォルニア、ハワイ島、そして南米チリ、パタゴニアと呼ばれる場所を旅しました。
それは、これらの場所に住む、自分の想いに忠実に生きている人達に会い、その人生のお話を聴くという、
 The Vision Walkerと名付けた自身のプロジェクトのための旅でした。

訪ねた場所は自然の中が多く、どの人も自然の一部として、寄り添うように暮らす体験をしています。
大地を調え、そのお世話をしながら暮らす人たちはみな、内側からその人となりが現れている
美しさを持っていました。
キラキラとした目で語られる、人生のお話にわたしは引き込まれ、美しさとは、表情と所作、
そして人生の物語というスパイスで味付けされた、その人すべてだと感じました。

この旅の最後に、わたしはパタゴニアから真っすぐに日本へ向かいました。
水を汲み、薪を運ぶ暮らしをした後の日本は、同じ星とは思えないほど近代的に見えました。
旅を始めてから二週間以上経ち、気がつくとグレイヘアがずいぶん伸びていました。
旅の間は友人の作ってくれた、ターバンを頭に付けていることが多かったので、あまり気にならなかったのです。
ところが、日本で家族や友人に会い始めると、みんなが口々に「髪を染めた方がいいよ。」
「そんなに白髪があったの?」「ちゃんと綺麗にしなさい。」と言うのです。

そういう言葉を受けながら、改めて日本という国を外側からの目線で見るとき、気づいたことがありました。
空港のカウンターでも、レストランでも、お店でも、そしてテレビ画面の中でも
わたし達が目にする人のほとんどは、若くてかわいらしい人たちです。
同年代の友人達を見ると、彼女達はーー君のお母さんであり、ーーさんの奥さんと呼ばれ、
自分のことは「おばさんだからね〜」と言います。

今の日本は、わたしの年代の女性達が、個性的に生きるにはとても生きにくい環境だということに気づきました。
と同時に、わたし達自身もまたアンチエイジングという言葉の魔法で、今の自分を見つめるのではなく、
かつてのわたし達の姿を追い求めています。

そしてわたしも、周囲の声に不安を覚え始め、旅の間に生きていた心と心で触れ合うという世界を離れて、
“若く綺麗に見せるために”髪を染める決心をしました。
その決心は決してワクワクする気持から生まれたものではありませんでした。
しなければならないという、自分への強制でした。

どれくらいの人が、ワクワクしながら毎月グレイヘアを染めているのでしょう。
わたしの周りの友人達に聞くと、ほとんどの人が「したくない。でも仕方がない。」と口を揃えて言います。

わたし達はこの年代の生き方を知らないのです。
外の世界には若くて綺麗なロールモデルしかなく、どこにも今の自分を楽しむというロールモデルが見当たりません。
たった一人で世界に向かっていく勇気を持つことは難しいのです。

それは旅の間に、ナチュラルで美しい人たちと出会い続けたわたしにとっても、難しいものでした。






3 周囲のプロエイジ観


わたしがプロエイジでいこうと決める後押しをしてくれたのは、今の日本の感覚であり、家族、友人達でした。
時には真逆の声が、アラームになり、何かを変えるきっかけになります。

この旅の後に髪を染めない決心をしたわたしは、プロエイジでいることについてのリサーチを始めると同時に、
同じような気持を持って生きている人がどれだけいるのか、探ってみたいと思いました。

わたしは「The Vision Walker」プロジェクトのサイトに「グレイスフリー ゴージャス」というカテゴリーを作り、
四、五十代の過渡期を体験している人たちと、からだとこころの変化など、さまざまな話をしたり、
その会話を録音して、 読んでいただいている方々に紹介し始めました。

外国に住む日本人は、よりプロエイジに意識的に生きているように感じますが、
日本にもわたしと同様にグレイヘアを染めない決心をした友人がいます。
彼女が言いました。
「外国人は肌の色も髪の色も薄い人が多いし、彼らがグレーになってもわたし達ほどの大きな変化ではないと思うの。アジア人の黒髪から白に変わるのは、ほんとうに大きな変化だし、顔の印象や表情が大きく違って見えると思う。」
確かにそうだと思いました。

また、アメリカに住む友人から圧倒的に多かった声は
「アメリカにはグレイヘアのままで生きている人はたくさんいるけど、美しいと感じたり、
振り返って見てしまうような人は、バランスよく生きている。
自然に生きるのと、美しく生きるのは少し違う。グレイヘアやナチュラルな雰囲気も、美しく見える努力が必要。」ということでした。

大人の時を楽しむためには、「あんなふうに年を重ねたい。」と言ってもらえるのも大切なことです。
異性から素敵だと言ってもらうこともまた、大きなエネルギーになります。
テレビや雑誌では見つからない、プロエイジという新しいカテゴリーを作っていくのはわたし達。
ロールモデルはわたし達一人一人という、新しい一歩の始まりです。

4 からだと心の変化の受け止めかた



わたし達は外側の変化と同時に、内面的にも変化が現れます。
生理が無くなったり、更年期障害などと呼ばれるいくつかの症状も現れる、不安定な年代でもあります。
わたしの母の時代には、ホルモンバランスが崩れる時に起こる症状にまだ名前がなく、自律神経失調症という、
よくわからない病名を付けられて、理解者がなく、一人でとても苦しい想いをしたと話してくれました。

わたしも最近「海の底」と呼んでいる、説明できない不安や、低いエネルギー状態になることがあります。
それは日常生活を送ったり、人と話すには支障がないのですが、いつも心のどこかに「海の底」を感じているのです。
「海の底」以外にも、身体が突然、火照るような熱さを感じるホットフラッシュや、生理の変化など、
人それぞれに症状が違い、相談したり話題にするのも難しい、心とからだのこと。

昔は村の女達が集まり、年長者からの話しを聞いて乗り越えたのかもしれません。
誰かが話し相手になってくれたり、手当をしてくれたり、ただ側で「大丈夫だよ。」と言ってくれるだけで、
どんなに安心するでしょう。

自分の周りに村を作ってください。
もし側に誰もいなければ、今の時代、インターネットを使っても、会ったことのない人でも、
ピンとくる人がいたら、村を作ってください。
思っていることを、正直に話せる仲間を見つけてください。
エネルギーを奪い合うことのない、お互いがお互いを思いやれるような繋がりは、
わたし達が不安定な時期を乗り越える時に、かけがえのない存在になるはずです。

プロエイジとは今の年齢、自分の時代を楽しむ、ということです。
楽しむためにはまず、自分が無意識に、そして意識的に作っている制限を知ることから始めてください。
わたし達は誰でも、他人からの視線を気にして生きています。
視線とは大概は批判的なものを指していて、でもそれが肯定的な視線だったら嬉しいですね。
日本社会のスタンダードがいま、少しでも若く美しくですから、
タブーとされているグレイヘアやお化粧をしないことで、批判されたり、奇異な視線で見られることを恐れます。
それをどう乗り越えていくか。
人がどう思おうと関係ない、という生き方も一つだし、褒められる視線を集める美しさを生きるのもまた一つ。
でもどうせなら、周囲にポジティブな印象を与えたいですね。

髪を染めることをやめる、というアイデアにワクワクするものを感じるのなら、
その気持をまず解放してあげてください。
そして、では好意的な視線を獲得するには、どう生きるのがいいか、という実験を開始してください。
その中で、わたし達は新しい色、カタチ、人、言葉に出会っていくはずです。
本来の自分で居ることで出会った世界は、今までとは違った輝きに満ちています。

そのままの今を生きるエネルギーほど、喜びに満ちたものはありません。
それは必ず同じ想いの人に届き、波紋は広がっていくことでしょう。
       

- 生理のこと-


わたし達女性は
一生の間に二度
からだが大きく変化します。

一度目は生理がやってきて
二度目は生理がなくなるとき
こころもからだも大きく変わるとき
わたしの女という性の旅の中で 生理は結構大きい位置を占めていました。 
20代で子宮筋腫がみつかり、アメリカの医師は簡単に「切ってしまいましょう」と
言いました。 わたしは”共存する”という道を選びました。
筋腫は生理がなくなる時
自然と小さくなっていくと聞いたので
その時まで自分で手当していこうと決めたのです。
それ以来
腫瘍が固くなって痛んだり
からだ全体が不調になったり
出血が多くて慢性の鉄分不足になったり
出産もリスクがありました。
そのたびに
チャイニーズメディスンを煎じて飲み
いろんなタイプのハーブを試し
からだにやさしい鉄剤を探して
この腫瘍と共に生きてきました。

そうしてどうやらついに
長い時を共に生きた腫瘍と
お別れのときがきたようです。
共に走り抜きました。

同時に
二度目のからだの変化が
こころとからだに新しい症状を運んできたのです。
ちいさな湿疹が出ては消えたり
怠さや疲れがあったりしても
長い間 筋腫と共に生きた経験は
辛抱強く、からだの声を聴く耳を育ててくれた気がします。

この頃 自分を観ていると
なんだかいろんな人や物事が
理屈抜きで愛おしく感じています。
からだとこころ 男女という性 考えてみると
なんて広大で未知な世界を”自分”として
日々わたし達は生きているのでしょう。
それぞれの世界を楽しんで生きたいですね。
わたしの新しいフェーズ
女という性のすばらしさが開かれるのは
きっといまからに違いありません。

-「海の底」に沈むとき -


「海の底」
そう、深い海の底にいるような心の状態です。
押しつぶされそうな不安感、悲しみ、寂しさ。
出口のない、消えてしましたいような気持はどこからくるのでしょう。

100%楽しんで過ごしているときも、
その気持に寄り添うように「海の底」は存在しています。
日によっては、クルクルと感情が入れ替わります。
深い悲しみがやってくると、涙がこぼれました。

わたしに起こっている、ネガティブな心の動きを、周りの同年代の友人達に話してみると、
「わたしもあったよ、そういう時。」「もう何年もそんな状態だよ。」
驚く程たくさんの人達が「海の底」別名「更年期」を体験していました。
みんな通り抜けている場所だと知ると、少し驚くと共に、安心もしました。

わたしの周りにはこの「海の底」を長く体験している先輩がいて、その体験からのお話は、
今のわたしの心に静かに溶けていきます。
ある日彼女が言いました。
「わたしは最近、無償の愛という気持ちがわかるような気がするのよ。
結局、最後は無償の愛なんじゃないかとすごく思うの。」
その言葉を聞いた時、「海の底」の底は無償の愛へ繋がっていると、確信に似た気持ちになりました。

「海の底」は決して楽しい体験ではなくて、できることなら通りたくないステージですが、
「海の底」が無償の愛に続いてるという感覚は、ギフトでした。
この体験のおかげで、わたしが誰かの悲しみや不安という気持を、ほんの少しでも感じることができるとしたら、
それはこれからのわたしとって、とても必要なことだと思うのです。

水深の差があっても、みんなの心に存在する「海の底」
聞いてみるとみなさん、いろいろな「海の底」からの抜け出し方をおしえてくれます。
鍼やアロマが効くことや、足を開いてしっかり立ち、大声で笑うといいよ、という
楽しい提案もありました。
一人で悩まず、体験を共有する大切さを感じます。

- ホットフラッシュはグレイトマザーへの儀式


「海の底」と同時に、ホットフラッシュと呼ばれるからだの火照りも起こります。
日常のいろんな場面に関係なく、夜眠っている最中でさえ、
突然からだが熱くなります。

「ホットフラッシュとは、からだの中にある毒素を燃やしている現象だって
言っていた人がいたよ。そしてそれは、グレイトマザーになるための準備なんだって。」
こう言った、マッサージセラピストの友人がいます。
今起こっているすべての不調がグレイトマザーになるための準備だとしたら、
それはもう、不調和ではなくなります。
偉大なる母になるために、からだと心が調っていく過程です。

わたし達女性は、出産という痛みを通して新しい命を誕生させ、
偉大なる母になるためにまた痛みを乗り越えるのです。
素敵な性ですね。
では偉大なる母になるために、どうやってこの不調和という痛みを通り抜けましょう。
とても大切なことは、今の自分の過程を知り、意識的になってみることです。

いろんなことを分かち合える、グループを持っていたらより安心ですね。
穏やかに包み込むような女性達が、どの国にもどの地域にもいると想像するだけで
安らかな気持になります。
女としてのチカラを内側に取り戻し、グレイトマザーという新たなフェーズを楽しんで生きましょう。

4 意識のアンテナを立てる


わたしはテレビやラジオを持っていません。
朝起きると、ヨガを少ししてからインターネットを開き、世界で何が起こっているのかをさっとチェックします。
からだを伸ばしたり、両手を胸の前で合わせる動作をする時、わたし達の心は落ち着きます。
そういう心持ちで世界のドアを開くと、わたし達は俯瞰するような目で、
起こっていることを観ることができるような気がします。
朝起きた瞬間からテレビをつけて、あらゆる情報を受け続ける状態では、
自分を忘れ、テレビから発信される他者の言葉に従って、生きることになりかねません。
ニュースを与えられ続ける暮らしから、ニュースを自ら選ぶ暮らしを選択することは大切です。

プロエイジに関する情報は、メディアから流れてくる中で見つけるのは難しく、
今はアンテナを広げて自分で探していく時だと思います。
必要な情報というものは、意識を向けることで出会えるものです。
大切なのは、意識というアンテナを常に磨いていることかもしれません。
メインストリームでいわれている常識という世界から、少し外れてみましょう。
もっと深くゆっくりと呼吸できるはずです。
もし、誰のためでもなく自分のために生きる、と考えるとき、あなたは何から始めますか?

わたしがプロエイジについてリサーチを始めた時、アメリカではわたし達の年代の女性達が、
とてもアクティブに活動していることを知りました。
アンテナを張っていない時には全く知らなかったことです。
ファッションの世界でも、40代から70代ぐらいまでのグレイヘアのモデルが活躍していて、
その美しさと静かで叡智を秘めた佇まいに魅了されました。

60歳のシンディ•ジョセフは50歳からモデルを始め、アメリカの新しいアイコンになりました。
そればかりではなく、メイクアップアーティストという長年のキャリアを活かして、
プロエイジのためのコスメティックラインを開発したり、毎週土曜日に自宅からいろんなお話を配信しています。

プロエイジの先輩として、グレイヘアのこと、同じように今を楽しむ生き方をしている人たちとのお話、
からだのこと、心のこと、いろんなテーマで話しています。
明るく世間話のように、自分のことを包み隠さず話すシンディを見ていると、ポジティブなパワーをもらいます。
でもそれは、わたし達にもできる事。
そのままの自分を楽しみ、そのパワーを出会う人たちにもお裾分けしていきましょう。
キラキラしているわたし達はパワフルです。

5 トランジッションタイム - 過渡期



いまわたしのグレイヘアは4、5センチほどの長さです。
グレイヘアが目立ち始め、色の境目もはっきりしてきました。
さて、これからこの割合がどんどん大きくなっていくのに、どう対処しながら
完全グレイヘアを達成することができるか…


わたしは20代の頃からずっと帽子が好きで、それはいまでもわたしのスタイルの一部です。
最近は旅で使いなさいと、デザイナーの友人が作ってくれたターバンがとても使い安いので、
旅が終わった今もよく付けています。
そしてこれがグレイヘアの過渡期にはとても便利です。
過渡期には、帽子やターバン、ヘアバンドなどを上手く使うのは、いいアイデアだと思います。
グレイヘアに近い色や、肌を美しく見せる色を取り込んで、オリジナルな雰囲気を作り出すのは楽しいものです。

よく聞くのは、ショートヘアにすること、今まで染めていた部分の色をグレイヘアに近い色に変えることなどですが、
それぞれが一番心地よくいられる選択をするのがベストです。
この過渡期を無事乗り越えることが、まずわたし達の課題ですね。

髪が伸びきるには長い時間がかかります。
自然のサイクルというのはどれも、こんな風にゆっくりと時をかけて変化します。
それはわたし達が変化を受け入れて、馴染んでいくために必要な時間なのかもしれません。
新しいわたしを発見、創造するには十分の時間ですね。

わたしはいま、これからの最大過渡期をどう過ごそうかと思案中です。
思い切り短くして、過渡期を短くするか、もしくは長さを保って、工夫をしながら過ごすか。
同じく変化を受け入れて、過渡期を共にする友人達とシェアし合ったり、
素敵に年を重ねて来た人の話しを聞いたりしながら、楽しく過ごしたい。
この時期、ポジティブな言葉に囲まれていることは大切です。

30代でメイクアップをしなくなったわたしには、お化粧をやめるというハードルはないのですが、
それでも、年を経て、肌の変化、表情の変化、筋肉の変化… 
いろいろな変化を感じるとき、時と場合によって少しだけ表情を明るく見せるためのタッチアップをします。

わたしの眉ははっきりしていて、眉を描く必要は全くなかったのですが、最近は少し、眉尻が薄くなってきました。
そこを少し濃くしてあげるだけで、顔の表情がはっきりすることに気づきました。
楽しみな、お出かけのための魔法です。
もう一つ愛用しているのは、ヘンプ(麻)のリップクリーム。
麻のオイルを使って作られているリップは、うっすらと赤みがつくので、顔を明るくしてくれます。

メイクアップアーティストでもあるシンディ•ジョセフは、
「女性が喜ぶ時、興奮している時の少し赤みが差した表情がとても美しい。」と言っています。
おでこや頬、両首筋、鎖骨のラインなどにうっすらと赤を滲ませることで、
いきいきと楽しげな雰囲気を作り出せると教えてくれています。

わたし達が自分自身でいることに心地いいこと。
いまのありのままの自分と、心地よく感じられる自分のバランスを上手にとること。
そして一番心強いのは、同じ想いの人がいたり、素敵だと声をかけてくれる誰かがいることかもしれません。
そんな世界を創っていきましょう。